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代表/ハンター

石川 雄揮 (ユーキ)

自然体験関連 保有資格/講習受講歴

・狩猟免許全種:第一種銃猟/罠/網

・鳥獣被害対策地域リーダー

・危険生物対策アドバイザー 

​・野生鳥獣肉処理衛生管理者

・インタープリター(自然解説員)

・日本自然保護協会 自然観察指導員

・NEAL自然体験活動インストラクター 

・森林活動ガイド

出演/掲載メディア

・毎日新聞、朝日新聞、千葉日報、

 シティライフ、マイナビ農業、

 新華社通信(雑誌)、朝日小学生新聞など

・TBSあさチャン、朝生ワイド す・またん

​ ワイドスクランブル、お願いランキング(取材監修)など
  https://goo.gl/CBWCPe        
  https://goo.gl/MufVYC
 https://goo.gl/fPuuUd

  https://goo.gl/iLtBnu

  https://goo.gl/NxueVV 

  https://goo.gl/M1qnQc

  http://archive.fo/NQNwQ

ご挨拶

僕は2014年まで民放各局で報道番組ディレクターやフリーの戦場写真家として活動していました。
当時のブログ: https://goo.gl/s7bZjV

報道職ではイランの核問題やアマゾンの先住民族・環境問題、国際条約締結の舞台裏、北朝鮮、政治闘争、貧困、餓死、ドラッグ、基地問題など様々な社会問題の現場に臨し、ニュース・ドキュメンタリー番組の制作に携わっていました。

またフリーの戦場写真家/ジャーナリストとしてはパレスチナ紛争取材を皮切りに、アチェ紛争、アフガン紛争、ミャンマー紛争、リビア内戦、エジプト革命を取材し、パレスチナでは過激派に軟禁され、アチェでは日本人初の軍諜報部による捕縛・政治犯として強制送還にも遭いました。

一方でこれまでに3度の心肺停止にまで陥る経験をしていて、1度目は子供の時ですが、2度目は19歳の時に10tのミキサー車に轢かれて1ヶ月に渡り生死の境を彷徨い、人工肛門となって(今は完治)全治4年、3度目はアフガニスタンで一酸化炭素中毒で苦しみもがきながら10分間の心肺停止にー。

そうです。若いうちからここまで様々な経験をするとなっちゃいます、すべての物事をかなり「悟った」ような気に。嫌味な感じでもないんです。でも、自分の中で「一通り経験して、ある程度消化もできたな」という驕りはありました。

そしてこういった経験や人脈を意気揚々と引っさげ、2011年に僕の戦場写真を飾った日本初の報道バーなるものを東京で立ちあげるのですがー

ここで僕のそれまでの経験・人生は突如として失われます。示談により和解したので詳しいことはお話できませんが、僕は店を追い出され、それまでに培ってきた人脈・信用・財産、そして自信・希望までもすべて失くし、ショックから失語症のようになって数日は声がうまく出せず、その後もなぜか吃音のように流暢に話せない状態が続きました。

人間という生き物が脆いのか、自分が脆いだけなのかー。

 

その後はディレクターに戻るもあのハードワークをこなすほどのやる気は出ず、死のうとまで思うほどの人生は歩んで来なかったため、とりあえず生きないとと輸出業を始めて軌道に乗るも、心の中はからっぽです。

 

そして店を去って1年ほどした頃、気づくと僕は、僕自身を卑下し、心の底から嫌いになっていました。報道マンだった頃の経験ではなく、学生時代にボランティアをしていた日本の養護施設の子供たちやカンボジアの戦災孤児、ペルーの孤児やスマトラ沖地震の被災児たちが力強く生きる姿を思い出し、生気を失い適当にダラダラと生きている自分が吐き気がするほど嫌になりました。

 

そしてふと、狩猟体験ツアーに参加してみることにしたんです。それまでは自然にまったく興味がなく、登ったことのある山も高尾山、自然と言えば露天風呂♪でしかなかった僕、というか、だからこそまったく縁のなかった経験をすれば何か変わるかもしれないという考えで。

 

ーそれは、深深とした森のなかでした。箱罠に一匹の鹿が捕まっていました。その空間には鹿と僕の一匹と一人だけ。

その鹿にとって僕は圧倒的な強者であり、血も涙もない悪者。一方的に彼の命を奪い、さらには食べようとまでしている悪魔です。鹿は悪魔=僕から、必死で逃げようとしています。

 

そんな、かつて経験したことのない“命を奪う者”という自分の立ち位置を全身で感じ取り、身震いしたのも束の間、僕はその場の空気に呑まれ、足をすくませました。戦場の前線でも経験のなかったことでした。

 

少なくとも10分、僕はひとり足をすくませ、その鹿を見つめていたと思います。鹿は一度も声を出さず黙々と怯えた様子で檻に体当たりしていたのですが、ガイドの方が到着して逃げ惑う彼の動きを封じ、ハンマーで気絶させようとした時、初めて鳴きました。

フィー・・・、フィー・・・

 

それは、心奥を抉るような悲痛な鳴き声で、胸がひどく苦しくなるほどだったのですが、ガイドの方が「実は鹿は利他的行動をとる動物です。この叫び声は助けて!って鳴き声ではなく、周囲の仲間の鹿に対してここは危ないから来ちゃダメだって伝えているんですよ」と教えてくれた時に、僕はさらに深く深く、その場の空気に呑み込まれていきました。

「自分が死の際にいるのに仲間に危険を伝えるなんて…この光景は重すぎる。僕の身体はこんなにも必死で、重く、尊い何万もの命で作られて来たのに、一切その自分の身体を構成してきてくれた命たちのことを考えたことも感じたこともなかったなんて…なんて愚かなのか。。。」

 

脳内だけでなく全身にそんな思いが駆け巡り揺さぶられているような、あるいは映画の特殊効果のように僕を中心に周囲がぐるぐる回っているような感覚に陥りました。

 

この鹿はこれから僕に食べられることで、僕の一部になる。つまり、この鹿は僕なんだ・・・って。

 

報道職や戦場へ行っていたのは7割は正義感からでしたが、3割は人間・世界の本質を見たい・知りたいという好奇心からでした。社会の裏や戦場のような極限の地に身を置けばなにかしら見えるのではないかって。

 

—でも、見えませんでした。正確に言えばそれなりに色々と見えたし知見ももちろん増えたのだけど、欲や嘘、エゴが必ず絡まる人間の為すことのなかに何事からも本質を見いだすなど不可能で、深入りすればするほど人間不信へと陥り、考えれば考えるほど自我が崩壊するような気分に追い込まれるだけでした。

リビア内戦が特にそうでしたが、誰が正しいのか悪いのか、カダフィは本当に悪いのか、なぜ人は人を殺せるのか、殺すとき人は何を感じているのかー。沖縄基地移設やオスプレイ問題なども現地で潜入・密着してあらゆる意見の人々と寝泊まりしてまで取材しましたが…と、別にオスプレイや基地賛成とか反対とかいう話じゃないんです。事実は小説より奇なり、でして。。。

脱線しました。では狩猟で、その鹿で物事の本質は見つかったのか?というと、実はこれも違います。逆に「そんなもんは死んでも見えん!」という結論に(笑 じゃあ、なんで狩猟や自然、そんな体験を推すんだ、捕獲現場の立ち合いにこだわるのかというと、それをやることで「見える」どころか森羅万象から自身の本質まで、その一部になって“触れる”ことが可能だからです。

捕獲現場、特に屠殺に立ち合えば、皆さんも必ず現場の空気に圧倒され、呑み込まれ、鹿であればその絶対的弱者のいのちの叫びを前に自然を畏怖し、狩猟採集時代の遺伝子が呼び起こされる感覚に打ち震え、そしてそれがこれから自分の血肉となる事実に、これまで感じたことがないほどの強い刺激や影響を受けるのは間違いありません。なぜなら動物や植物の生命を奪い、それを自身の血肉とすることが人間として誰にも共通する根本・本質にほかならないからだと思います。

と、文面で熱っぽく語ってしまいましたけど大丈夫です。僕の話をただ聞くのと実際に体験するのとは何倍違うとかじゃなく、この感覚は次元というか土俵がまず違う感じですので。

 

なにしろ人がこういった物事の本質に触れる効能は計り知れません。何を感じ取るかは人それぞれだとは思いますが、僕であれば、この鹿との邂逅で地球上のいち生物・人として本当に大切なこと、知るべきこと、感じ取るべきこと、人間の存在理由、本質的な強さ、感謝すべきことなど説明できないほど多くのことを一瞬で学びとることができました。

 

様々なことへの「迷い」なんてちっぽけだと気付かされ、吹き飛ばされます。だって、僕らはこんなにも重く尊い命をなんら意識することなく何万も奪い、その身に宿し構成してもらっているのだから、日々のちっぽけな迷いや悩みなんかで歩みを止めていたら僕の中にあるその命たちに失礼だと。顔も大きさも、メスだかオスだかも、大きな牙だったとか、獰猛だったか大人しかったか、子供はいたかとか、狩猟で捕獲するイノシシとは違って何も知らない、知ろうとすらしないスーパーの陳列棚の肉。そんな何万もの僕のなかの命に、あまりに失礼だって。

 

この鹿と僕のような場面に立てば必ずしも同じような思いや考えに至るわけではありませんし、それが正解ではありません。人間の感性にはそれまでの経験などが大きく作用しますから、受け止め方は人それぞれ違くて当然だと思います。

 

でも狩猟・自然、特にこの鹿の時の僕のような場面に立てば、全ての人が必ずなにがしかの影響を受けます。本や映画や美術館や音楽で受ける表層的な影響ではありません。小難しい哲学者たちでさえ最終的に本質を見出す自然、しかもその中でその一部、つまり地球上のいち生物となって自ら、もしくは絶対的な強者として命を奪う・戴くという場面に実際に立つからこそ心奥に響くなにがしかの気づきや変容をもたらし得るのだと思います。

 

そんな体験を他者にも提供できると気づいたとき、これこそある意味ジャーナリストとして心から人に伝えたい、伝えるべきことだと思い立ちました。僕が僕のエゴや陳腐で利己的な感性、さらには利益を求めて脚色・過剰化された情報を他者に伝えるのではなく、自然や命が本質として個々人にあった何がしかの答えをもたらしてくれる。僕はそこまでの単なるパイプ役になりたいなと。

 

なにしろ皆さんを戦場に連れて行くことも一緒に臨死体験をしよう♪なんてことも不可能ですが(笑 狩猟の現場にはお連れすることが出来ます。さらに個人的には戦場や臨死体験よりもずっと物事や自分の本質を知りうる体験です。

なお、これを読んだ方の中には悪趣味だと思われる人もいるかと思いますが、皆さんが狩猟ツアーで捕獲現場に立ち合おうが立ち合うまいが僕は毎日のように何かの動物の命を奪っています。たとえ僕が止めても他の誰かがやらなければなりません。既に追い込まれている農家さんたちを守らないといけないからです。

 

最近の研究では植物も痛みのようなものを感じていることが分かってきました。そして食肉だけでなくスーパーで買う野菜の向こうにも収穫を守るために処理される無数の虫や動物の命が必ずあるんです。命を奪うことよりも、このお金を介すことで命を感じ取ることが出来ない自然との隔たりこそが地球上で等しく命を授かった生物として僕たち人間の最大の不幸の一つだと考えています。

ただ殺され捨てられる動物たちの命を少しでも有効に活用するため、僕らの活動にご理解を賜れましたら幸いです。

敬具

Hunt+ 代表 石川 雄揮

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